2014年12月1日月曜日

退職しました



2014年11月30日を持って7年間在籍した会社を退職しました。

転職理由

転職活動の時に作った資料には、こんな事書いてました。

新しい技術に挑戦できる環境で、技術力がある人と一緒に仕事をしたかったからです。

きっかけは、Java8がリリースされた時に対する会社内での受け止められ方を知った時でした。
Java8がリリースされた後、様々な媒体から資料を得たり、勉強会に参加して実際に触れてみたりした内容を社内で共有しても、反応が返って来ませんでした。
導入されるのは後かも知れませんが、準備しておかなければ、実際に決まってから取り組んでも遅いということを提案いたしましたが、その後の反応は芳しくありませんでした。
また、技術についていろいろと相談したいことがあったとしても、相談出来る人が社内におらず、意見を求める事が難しい状況でした。
さらに、新しい技術について検証を行う際も、与えられた開発環境では検証を行うことが出来ず、十分な結果を得ることが出来ませんでした。

理由として、今後エンジニアとして生きていく事を考えた際に、今の環境では手詰まりとなる危機感が一番大きかったと思います。
会社が周辺環境の変化についていけてない状況を改善する方向性を打ち出さ無かったのは、決定的でした。

経緯

入社した2007年は例年に比べて採用状況がよくなっていた模様で、大学を8年もやっていた人間にはまたとない機会でした。
しかし、よくなっていたとはいえスタートラインに立てただけの人間には、やはり厳しい状況でした。

2007年の1月になって、今の会社が内定を出してくれたお陰で職を手にすることが出来ました。
配属後は、勤怠を中心とした、給与、人事の業務管理システムの開発を担当することになりました。
主にJavaで作られたWebアプリケーションである自社パッケージを、顧客の就業規則等に併せてカスタマイズを行うのが業務でした。
とある会社の勤怠管理システムの案件では、要件定義から保守運用までの各工程に携わってました。

20人にも満たない会社だったので、必然的に一人で出来る事を増やさないと仕事が回りませんし、教えてくれる人もいない方が多かったので、自ら学ばなければならない状況だったので、初めの4年は暗中模索の状態でした。

2011年の東日本大震災は、五反田で被災して、徒歩で帰宅したのを覚えてます。震災の影響とか関係なく炎上してました。
その案件が終わった後すぐに別の炎上してる案件に突っ込まれたので、いろいろ考えさせられました。

振り返ってみて自分の中で何か変わったキッカケは、Seasar Conference 2009 WhiteS305-2: テスト駆動開発のこころ (TDD はじめの一歩)にあるのかなと思います。

当時は、Seasar2に触ったことがないのにも関わらず、Javaのイベントで気軽に行けそうだと思って参加してました。
2011年にTDDBC横浜に参加して、和田さんの講演を聞いて以前に参加してたのを思い出してました。

その後、アジャイルサムライ読書会の横浜道場に参加するようになって変わった実感がありました。
アジャイルサムライに出会ってからの3年は、とても勉強になりました。
たくさんの師匠に出会って、イベントに参加したり、講師をさせてもらったり等業務だけでは知り得なかった事を体験することが出来ました。

その3年で最も会社の中で実感したのは、アジャイルサムライの一節として出てきた「誰もがこの働き方を気に入るわけじゃない」でした。
社内勉強会等開催してもう一人の仲間を探したり作ろうとしてましたが、結局、出来ず仕舞いでした。
そして、転職理由へと繋がってしまいました。

これから

独りのエンジニアとして、何が出来るのか、何が足りないのか、何がしたいのか、何になりたいのかを考えた結果の転職でした。
小さな会社だった為か、裁量がある程度もらえたおかげで、いろいろ試行錯誤出来ましたし、勉強しなければ生きていけない環境だったので、量が質に転化するまで経験出来たのは、感謝しています。
本当にありがとうございました。

次の会社は、12月1日からです。
一ヶ月位有給休暇しようとしましたが、残念ながら11月末が納期だったので結局1日くらいしか消化出来ませんでした。
まぁ、自分のようなダメ人間が社会復帰するには時間がかかるのは分かっているので、良かったのかも知れないです。

最後に、例のリストはこちらです。ご査収ください。